Mev

1.22

Cruyffrec日。西調布にていざ集合、行き道に見つけたり 遠くの方から来ているとわかっていても一瞬知らないふりをしてしまうのはなんでなんだろう。

行き道、不安障害について書いたという記事を読んでその希薄さにしかめっ面をする。

 

1曲少しベース録り、リアンプ作業(音のみでこんな!印象が<風景が>変わるのは不思議。音のみに感動できた記念日だと思った。)歌2曲をわたしはとる。呼吸は浅いし、脳と身体の連結がまるで取れてないことに驚く。これから少しずつ歌って、良い歌になっていけば良いな 歌録り2曲を見守る。才能ってあるんやなーと思う

シンマさんのサウナ話面白かった。追記、今現在メッセージにて、「サウナはマジでダサすぎるって」。

 

喫煙所、渡邉くんがコーラ瓶に煙を入れていて綺麗だった & 大出世トランス & 即身仏話 & 昨晩見た「ケイコ目を澄ませて」。

 

無事終了!嬉しくもあり、寂しくもあり。ほんとうに一日って来ちゃうんだし、予定は必ず終わることを23年いつまで経っても慣れないまま。

 

調布まで歩いてご飯を食べる。音楽以外の趣味を見つけたい と言った現時点でのベスト→塗り絵、写経、ランニング(職場~家)

 

母親から連絡、最寄りで不審者が出たとのニュース!BAD

 

帰り道、こんな大きな不安みんなどうやって抱えて生きているのやろうかと少し、立ち止まって考える。

 

さっきの話とは関係なしにお風呂上がりにヨガを始めてみた。ヨガをしたらrei harakamiが聴きたくなったので足元布団をかけながらLRのパン振りを楽しんでいる。

 

明日から6連勤ーとうつと、しくしく悲しい気持ちになってきた。

 

いま、初めて 日記を、夜、書いてみた。

 

 

日の無い部屋に静かに帰るのさ こんな事を、って思う丈の賛歌さ

作っています。

 

考えすぎてどっか行っちゃわないでね。

1.15

招集招集。CruyffはREC中でアルバムを録っているまっただなか。


音楽の奇跡みたいなものをまざまざと感じれた気がして嬉しい。


自分らの音楽で泣ける という体験は何かもを超えてすごい。私は自意識が爆裂している音楽媒体っていうのは冷めてしまいがちなのですが
そういった肥大化してる自意識とかではなくて、早く聴いてほしい、なんか遊び半分で缶蹴りをしてたらスーパーゴールを決めてしまったときのような。

今の、すごくなかった?見てた?みたいな瞬間、のあの顔。

 

語尾に最悪、をつける特異な文法。死んでもいいや、最悪。

 

別に本当に遊びで音楽をつくっている訳ではないけど かといって生半可な気持ちでやれないのはなにこれ。好きで聴いていた音楽が要素になって、だんだんと形になり出現したときの瞬間!

今の、すごくなかった?見てた?見てたよ。良かったよー。

 

 


ここ数年。
脳内シュミレート完璧の、夢みたいなはなしさ。決して交わらないであろうものが交わる。わー本当にあり得るんだ、とか声に出す。この感動は生きていないと、ほんで進めようと思って進めないと味わえない珠玉の・・!これを実感することが増えに増えて確実に自信に繋がっている。実際本当にわたしは結構姫気分。
半ばあきらめていたこと、というのは果てこれなんだったのだろう。思い付きを思い付きのまま終わらせるのは本当にもったいないよなと思う。自分の頭の中が楽しい・案外共有できるもんだったりする。すげー
完全じゃないけど。もしこの世で完全になれる瞬間や場所があるんだったら、

まあ、実際のところ、今すぐに行きたい・死んでもいいや最悪。

 

誇り高く、かっこよくあるための片想いだったら、許す。

1.14

てんでばらばらな気持ちが互い寄せては引いてを繰り返し、
何も変わらず幾星霜の時が流れ、ほんで海岸の丸っこい石ころになり、
その辺のガキが下手くそな水切りに使い、
一度も跳ねずに沈んだ私は、私の残した波紋を白けた目で見つめていました。

 

断片の集合が世界だったんだだけでそういった事だと、だんだんです。

 


雑記。


外国語に感じるロマンチックさ、あれは一体なんなのか…!?
なんというか言語、としての私情がまるでない感じが良い。とってもクールである。


私は彼がもちろん好きだけど、なんてったって彼の観察点が好きなんだよね。
→他者と自分の境界が無くなる時が本当の愛だなんて、そんなのは本当なんだろうかね。

親切な距離は一体。

 

 

1.手の打ちようがない
2.もう、なんどもいったじゃないか!
3.すべてもとにはもどらない

 


どうやら私は音楽ですべての、音楽にまつわるすべてで私の数千年の孤独を埋めているようです。

 

眠りにつきたいよ。

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眠るとき、上を向いてはいけないよ。なんかこの部屋の天井が異様に低かったことを思い出すから。

 


おおきなおおきな映画を見たい。


1.13 職場にて。私は久々に80年代ジャパニーズ・アヴァンギャルドな世界にin 2度目の衝撃をくらっちゃって、その衝撃は揺るぎない 逆らえないものになってしまいました。とうとう。
音を聴いて心の底からなんだかどきどきしました。かっこいいはもちろんなんだけど、なんだか同じ星生まれ のようなそういった共感力とそういった方々から私たちへ、の道しるべ感。こうも突き付けられちゃうと!

 

表現をするうえでの暴力さというものについて考えています。
何かを介してその手段での音楽的暴力というものがとても苦手で参る。音楽はもっと崇高なものであってほしいと思う。パンクミュージックは好きだけれど、(うまれもった)アゲインストな姿勢が好きなだけなんだと。

共感も関心もないうえでの関わり合いはなんだかこう、お互いの為に無害でありたい。


私が心底好きで、感動するノイズというものは自分から出てきた破壊衝動、だけが純に鳴っているのが好き。それが 私にはとても優しいのだった。なによりも。

 

破壊ではない暴力が蔓延しているよう最近世の中。目に見えるものだけ、わかりやすいもんだけが、暴力なんすかねー。

 

おもいは消えなくていいです。

 

視覚の記憶は年をとらないです。

 

歌詞なんてごくわずか数行で足りるはず。

 

その人の音楽を聴いているときにしか感じえない気持ちをやはり好きだと思うのです。
それをやりたいと思うだけでした。

 

 

なんていうかそれは失敗した写真みたいな気持ちでした。

1.5

軌道をいっぱいにする音伸ばしの上、真ん中の欠落を暗に言う

1/2、ただ鳴る音の切実さに私は泣いた

 

風景が風景であるのは罪じゃないよ

モアインフォメーションと言わんばかりの

 

憧憬でしかない 待合室でなんとか生きている

 

休憩所で私たちは私たちの来た道をずっと見ている。これから訳す

 

ずっと、情報の上に立っている。そんなのってひどい?

12.12

昨日初めて友人の演劇を見てきた。(いつも自己と外部を切り離しておけるコンテンツ上に立っている・演じている、作っている友人たちを尊敬すると同時に、生血を見せたい気持ちにもなる。)

昨日大好きだったバンドの解散ライブを見てきた。(ぎゅっとしているところに否応なしに涙が出た!)

 

論理上の現象、が蔓延しすぎて嫌いになってきた。

大きな言葉で思考でありすぎて、生きてきているのではないかと不安になる、いわゆる自然な会話が苦手である。自然を纏っている人も、そうでない人も、わたしが勝手に自然、を意識をするので苦手である!

 

孤独という時間を避けるために物事を考えている実行しているのかとか思ってしまって申し訳ない。

 

なんてゆうか所詮は 生きている中での時間を持て余し、それでいての何か みたいな思考が自分の中で膨れ上がりすぎて 単純に見るのも、するのも、もう100受動的。それで、いったい私の中に何が残った?のか。観測をしているだけになってしまった・何も言わない、って思ってなくとも何も言わなくなってしまった。それはただ意味のない人として存在しているのではないかと思う。なんにおいても主観は自分の中では避けられない意識だけど。実際全然口から欲望が言葉として出ない。

 

打開策、人とわたしは討論がりたいのだと気づく。ニヒリズムの上に立ってもどこか悲しい。なのにいつまで経っても私はどこかで、ナルシシズム的ではないとなんかこう発表や意見交換もできないという意識がある。自分は自分を肯定し続けるし、否定し続けるのなんだろう、グレーに居ることが、往復し続けるのが!そればかりはかっこいい!、わかっているけど果たしてそれでいて、なんなのか。正解や不正解を決められたくないのに、決め欲しがっている。

 

とかいって自己解析の為に言葉を使用するのも、うんざりしている。

 

高貴な感じで!高貴な感じで!!ってか_~_

ありのままに生きるというのははてこれ。人間は目的の上にしか成り立たないのかよ。(!!)

11.23

久々に詩以外の文を書いてみようと半ば強制な気持ちでこころを起き上がらせた。ちょっとこわいとおもっていたから

 

ちか頃は機嫌が良くって、ニュートラル。空中キャンプやと言語から離れてしまうからその作業を欠かさないようにしないとね。そこは限りなく脳!

 

ex人間の歌詞がなんとなく頭の中で流れる 遠くで人が死んでも と

 

ただの思い違いですけど、ゆらり手を

 

つらつらとこのおもいは届いているのやろうか。明るく軽く跳ねてくれるような言葉はまだ扱いが慣れてないようで、そればっかりで、言葉や気持ちの鮮度を考えてしまいます。やはり自分の首をしめてから離した時の落差で気持ちがっていた事を確認するのみ。それを過信しすぎている 要はそういったオルタナティブ呪いなわけ!くそくらえ。

 

ひとりでぼーっとするのも 夢を見ながら歩くのも、浸って泳ぐのとおなじくらい、ようやく人と話すことが好きになってきた。それは好きな人しかいないから。かな。

 

全てのことをだいたいはばかにしてる。そでした。

ちょっとばかし、昔の自分を殴ったりさ 抱きしめたりさ、きっとそうやったらさ昔の自分は怒るんだろうね

 

いまは、いまでしかねー という限りなく!興味ゆくままに 好きなほうへ、自分の迷ってることも不覚なとこも、全部は自己満足と納得、たるゆえ、それもくそくらえ。

 

幸せです