Mev

12.12

昨日初めて友人の演劇を見てきた。(いつも自己と外部を切り離しておけるコンテンツ上に立っている・演じている、作っている友人たちを尊敬すると同時に、生血を見せたい気持ちにもなる。)

昨日大好きだったバンドの解散ライブを見てきた。(ぎゅっとしているところに否応なしに涙が出た!)

 

論理上の現象、が蔓延しすぎて嫌いになってきた。

大きな言葉で思考でありすぎて、生きてきているのではないかと不安になる、いわゆる自然な会話が苦手である。自然を纏っている人も、そうでない人も、わたしが勝手に自然、を意識をするので苦手である!

 

孤独という時間を避けるために物事を考えている実行しているのかとか思ってしまって申し訳ない。

 

なんてゆうか所詮は 生きている中での時間を持て余し、それでいての何か みたいな思考が自分の中で膨れ上がりすぎて 単純に見るのも、するのも、もう100受動的。それで、いったい私の中に何が残った?のか。観測をしているだけになってしまった・何も言わない、って思ってなくとも何も言わなくなってしまった。それはただ意味のない人として存在しているのではないかと思う。なんにおいても主観は自分の中では避けられない意識だけど。実際全然口から欲望が言葉として出ない。

 

打開策、人とわたしは討論がりたいのだと気づく。ニヒリズムの上に立ってもどこか悲しい。なのにいつまで経っても私はどこかで、ナルシシズム的ではないとなんかこう発表や意見交換もできないという意識がある。自分は自分を肯定し続けるし、否定し続けるのなんだろう、グレーに居ることが、往復し続けるのが!そればかりはかっこいい!、わかっているけど果たしてそれでいて、なんなのか。正解や不正解を決められたくないのに、決め欲しがっている。

 

とかいって自己解析の為に言葉を使用するのも、うんざりしている。

 

高貴な感じで!高貴な感じで!!ってか_~_

ありのままに生きるというのははてこれ。人間は目的の上にしか成り立たないのかよ。(!!)