Mev

3.10

考える。

 

記憶の断片を必死にかき集めて墓標をたてること。行き場のない気持ちに部屋を与えてあげること。私自身が眺めになること。自らそうしてふるまい続けること。

公平に分け与えられている言葉や文字のちょっとした羅列の違いで気分が高揚すること。愛す、普遍をわかっていながら血が出るまで壊し続けること。繊細さがいじらしいこと。それよりももっと大きな物流に乗って流れ出てくることへ対して果たして私たちはいつまで身を固めていれるだろう。

 

19歳の記憶を反芻する。2019年のひとりぼっちな空気は確かにそこにあったはずで、なんとなく友人も感じていて、お互いに沈黙しながらもその空気の中で互いについて毛づくろいしあっていた。人の気流を信じざるを得ないくらい、今とじゃ何か大きな同じ思いを抱えて、むしろそんな思いが無ければ取り残されるようだった。

2020年に新型ウィルスが流行して以降の記憶がまっさらと、ない。そんな記憶をどこか置き去りにしてきた様で、でも五感は覚えていて、身体だけが頼りな、そんな原始的な気持ちになる。

 

最近ようやく当時の友人たちと当時の自分と顔を合わせるようになれた。変わらず、お互いの気持ちはずっと沈黙したまま、気づいた時に顔をあげて合わせては笑ったりするだけだった。

 

ただそこだけしか拠り所が無かった自分とずっと決別していたけど、統合出来た。それまで、ずっと苦しかった。

 

年をとるごとに、これまで為してきた事の延長線上としての現実ががっちりと食いついて、もう他の世界線を夢想できないなと思った。それはその瞬間で出来上がった気持ちの決断の積み重ねのくせにね。いくつもの人生の通りがある中で、ひとつ、大きな綺麗な気持ちを抱えてしまえたのだったら、それにはもう勝てないんじゃないかとか。拠り所が増えてゆくのが、こんなにも怖いとか。

考える。

 

これからの事を考えようって言っていた過去が、あてもなく綺麗に見える。未来に馳せる気持ちを前面に出してきたけど、たまに弱気になってそんなことをおもう。弱気、なんて、というか、それくらい特別だった。

 

世界がまもなくおわるーってときもずっとのんきにこうしているんだろうね。って、本当だったね