ゆっくりとなにか物事に対して長く考えれないまま、薄らと違和感だけ(核となるものが無い様な、)残る生活がある。
順序を追うのに必死なんだみんな
その言葉の意味をちゃんと本当の意味で汲み取れているのやろうか。とか。顕著に感じることだ
今日尊敬している2人の友だちの即興演奏を見に行った 久々にその極みの感情というか 深いところまで連れていってくれる音と空間だった
10日、亡くなった友だちのお墓参りに行った。その翌日、そこはかとなくしんどくなった。
きっとそれが普通なのに、ただ時間が無いというだけで過ぎてゆくものに対してこんな立ち振る舞いができるのが、恐ろしくこわい。切実にひとつの事に対して真剣でありたい という気持ちはあるのにどうも力が湧いてこなかったりする。それは本当に良くない事だと気づいている から ちょっとひとりになりたい。追い越しを見逃している
未来という余白を慎ましく、ありたい。
佐々木昭一郎の映画を見て、友だちの即興演奏を見て、亡くなったあの人を思い出して、そう思った 私はたぶん、ちゃんとぼーっと出来ていない。周りのみんなも急いている様で少しこわい。普通なことを普通に感じれないことに対しては、諦めた。そこをとことんやっぱり見てみたい。
今の私はちゃんと私だけど、きっと、ちゃんと、私ではない。ごめんなさい 音にもそう思う
枯れるまで泣いて、どうしようもない気持ちになって、はやく曲を作りたい